
貢の死からしばらくたっても、頼子の周囲には不思議な静けさが流れていた。世間は激しく騒ぎ続けているのに、頼子自身は、どこか遠い場所からその喧騒を眺めているようだった。
貢は生前、スマートフォンを片時も離さず、会ったこともない誰かの苦しみに心を乱し、SNSの言葉に傷つき、振り回されていた。世界中の悲劇を自分事のように抱え込みながら、同時に「変わり続ける自分」にも苦しんでいた。そんな貢を見つめながら、頼子は、自分とはずいぶん違う人だと思っていた。頼子もまた世界の不幸に胸を痛めていたが、特定の誰かだけに感情を集中させることはなかった。幼い頃から寄付を続け、遠い国の飢えにも戦争にも等距離で向き合ってきた。しかし今の時代、人は悲劇との距離を自在に調整しなければ生きていけない。近づきすぎれば壊れ、離れすぎれば無関心になる。頼子は、そんな世界の変化を静かに感じ取っていた。
一方で善恵もまた、「搾取する側」であることへの罪悪感に苦しみ続けていた。雷人とヒビキを雇っていた店を閉めたのも、その感情から逃れたかったからだ。しかし店を畳んだあと、彼女はむしろ穏やかになり、子ども食堂の運営に関わることで生き生きし始める。人を思いやるには、まず自分の生活が安定していなければならない――頼子はその現実を理解していた。だからこそ、貢の過去の過ちさえも、「人間だから間違う」と受け入れていたのかもしれない。本心からだったのか、それとも平穏な生活を守りたかっただけなのか、自分でもわからないままに。
頼子は相変わらずインターネットから距離を置いていた。ニュースは新聞やテレビで十分だったし、貢の名前を検索する気にもなれない。しかし雷人とヒビキは違った。ネットの中に生きる二人は、頼子に代わって“松川貢界隈”を調べ尽くしていく。そこでは頼子は「かわいそうな妻」として同情され、貢は死後、まるで英雄のように語られていた。かつての罪は忘れられ、人々は彼の死を美しい物語へと変えていく。善恵はそんな世間に腹を立てたが、頼子はどこか冷静だった。時代は簡単に価値観を変え、熱狂し、また別の方向へ変わっていく。頼子の母が言った「時代なんて信頼できないよ。変わるってことは、また変わるんだから」という言葉が、その軽やかな不確かさを象徴していた。
そんなある日、貢と共に逮捕された女性から手紙が届く。長い文章の最後にあったのは、結局「ごめんなさい」という気持ちだった。頼子はその手紙を嫌だとは思わなかった。むしろ丸い文字や率直な言葉に親しみを覚え、返事を書こうと決める。
物語の最後は、猫のエドに薬を飲ませる静かな場面で締めくくられる。暴れるエドに引っかかれ、頼子の指から血が滲む。痛みと熱を感じながら、頼子はその血の味に、生きている実感を覚える。人は変わり続け、傷つき続け、それでも暮らしは続いていく。SNSの喧騒や時代の価値観とは無関係に、静かな生活の中で刻まれる小さな痛みこそが、この物語の本当の温度だったのかもしれない。
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