
パンとサーカス(382)
十五分ほど遅れて、マリアと寵児がスイートに現れた。
寵児がまっすぐに空也に歩み寄り、ハグを交わし、
「お互いよく生き延びたな」と囁(ささや)くと、
空也は「ああ」と応じ、
にわかにこみ上げてくるものがあった。
――オレがムショ暮らししているあいだ、
おまえは逃亡生活をしていたようだな。
――ロシア、イラン、メキシコ、キューバ、
インドネシア、ベトナム、韓国、
台湾を転々としていたが、何処(どこ)に行っても、
ヒットマンが追いかけて来るので、
逃げるのはやめて日本に戻った。
――何度も殺されそうになったって?
――運が悪ければ、三回死んでいた。
電車で脇腹を刺されたり、車が暴走して来たり、
ホテルの部屋に爆弾小包が届けられたりしたが、
オレには巫女(みこ)がついているので、
まだ生かされている。
石井首相はCIAの情報本部長と、
オレの暗殺指令を凍結する密約を交わした。
彼が首相でいるあいだは、この密約は有効だ。
――おまえは総理の命の恩人なんだから、
それくらいのことはしてもらわないとな。
――ムショ暮らしの成果はあったか?
――神や偉人を身近に感じたよ。
――約束通り、おまえの社会復帰は任せてくれ。
しばらくは休め。アイリーンがリハビリに
付き合ってくれる。その後、空也も大好きな世直しに復帰しろ。
――勘弁してくれよ。もう懲(こ)り懲(ご)りだぜ。
――一週間もすれば、気が変わるさ。
――おまえ、今は何やってるんだ?
――CIAも、秘書官も辞めた。
今は秘密結社を率いている。
活動資金はメシア財団と政府からの出資が半分、
市民の寄付が半分。
任務は中立国自由日本を立ち上げること。
空也のポストを空けて待っていた。
おまえが始めた世直しを忠実に
継承しているんだから、断るなよ。
――これはオレが刑務所で見ている夢か?
秘密結社は実在するのか? 名前は?
――コントラ・ムンディ。
大きな回り道をして振り出しに戻された気が
しなくもないが、魂は長い旅を経たのち、
原点に回帰してゆくというから、
それもやむを得ないのかもしれない。
◇
これにて完結。長きに亘(わた)るご愛読に深く感謝いたします。
現実の政治にも大きな変化が訪れますように。
乱世にあっても、人々の良心と愛が報われますように。(島田雅彦)

にほんブログ村